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大分県日田市 小鹿田焼 暮らしに根付いて300年!

日田

大分県日田市 小鹿田焼き

今回訪れたのは、水郷として有名な大分県日田市である。
四方を山で囲まれた盆地である日田の中心には、豊富な水が流れる三隈川がある。

江戸時代には天領として栄え、文化や学問が大変盛んであった。
幕末には、廣瀬淡窓によってこの地に全寮制の私塾である咸宜園が開かれた。

咸宜園では、三奪法・月旦評・職任を用い実力主義と門下生各自の個性を尊重した教育が行われ、約92年間で10名の塾主によっておおよそ5,000名の門下生が巣立ち、江戸時代を通じて国内最大級の私塾となった。

また、日田は産業も盛んである。
特に日田の豊かな水を使った蒸留酒や醸造酒などの酒作りは大変盛んである。

そんな日田市の山あいの小鹿田(おんた)地区で、300年の歴史を持つといわれる小鹿田焼(おんたやき)が今回のテーマである。

小鹿田焼の歴史

大分県日田市 小鹿田焼き

1995年、国の重要無形文化財に指定された小鹿田焼は、今から300年ほど前に、福岡県の小石原(小石原焼の中野窯)から柳瀬三右衛門が、日田郡大鶴村字柳瀬の黒木十兵衛によって招かれたことから始まった。

これに小鹿田地域の仙頭であった坂本家が土地の提供者として加わり、小鹿田焼の基礎が築かれたのである。現在でも、この黒木姓三戸、柳瀬姓二戸、坂本姓四戸、さらに黒木家から分家した小袋姓一戸の計10戸が窯元となり、小鹿田焼を守っている。

この小鹿田焼は、開窯以来、主に普段使いの道具を作られてきた。
それまで、あまり知られていなかった小鹿田焼を一躍有名にしたのが、柳宗悦(やなぎ むねよし)が昭和6年に書いた「日田の皿山」である。

柳宗悦は日田の皿山で、小鹿田焼と小鹿田の里を美しい文章で紹介し、人々を魅了した。
さらに、昭和29年には、英国人の世界的陶芸家であるバーナード・リーチが、三週間皿山に滞在し、小鹿田焼を広く世界に紹介した。

そんな小鹿田焼が作られる皿山地区、及び池ノ鶴地区は、2008年「小鹿田焼の里」として国の重要文化的景観に指定された。

大分県日田市 小鹿田焼き

暮らしのかたち・器のかたち

小鹿田焼の特徴として、まず思い浮かぶのは「飛び鉋」である。
飛び鉋とは、白い化粧土をかけた半渇きの状態のものをロクロで回しながら、白土を鉋で削ることで出てくる独特の模様である。

そして次に菊の花びらを思わせる「打ち刷毛目」。
打ち刷毛目とは、半渇きの器の上に白い化粧土を塗り、白土が濡れた状態でロクロをゆっくり回し、刷毛を白土の上で弾ませて描くのことである。

この他にも、「指描き」、「櫛描き」、「打ち掛け」、「流し掛け」といった独特の装飾技法がある。
こうした技法をみると庶民には程遠い高級品と思われるが、実は小鹿田焼の主体は日常の暮らしの器、実用の生活雑器である。

実用のものである以上、強さや使い勝手の良さとあわせて、身近な暮らしの道具としての楽しさや愛らしさを兼ね備えている。

今でも原料(周辺の山の土)やそれを砕く動力(谷川の水による唐臼)、さらに焼成用の燃料(薪・製材屑)に至るまで、多くの自然の恵みに支えられている小鹿田焼は、我々の日常の生活に活かされ使われてこそ、生きる道具なのである。

小鹿田焼の特徴

大分県日田市 小鹿田焼き

今回お話しをうかがったのは、小鹿田焼開祖の一人柳瀬三右衛門から数え13代目の柳瀬晴夫さんである。
柳瀬さんは、現在小焼田焼協同組合の組合長をされている。

我々が訪問したのは9月下旬。10月12日から開催される「第51回小鹿田焼民陶祭」の準備で大変お忙しいなかにも関わらず「小鹿田のことなら全て分かる、何でも聞いて」と気さくに仰って下さった。

小鹿田焼の大きな特長の一つが、器の後ろに個人名が入っていないという点である。
小鹿田焼の後ろには「小鹿田」の共通した裏印が入っている。
小鹿田焼は10軒の窯元の共有のブランドであり、個人の名を入れることはない。

「人が日々の生活で使ってもらえればいいので、個人が有名にならなくて良いんです。」
名前は入っていないものの、飛び鉋や刷毛目などの模様には、それぞれの家に特徴があるため、器を見ればどの家が作ったものか分かるという。

このように小鹿田焼は、各家でぞれぞれの個性や特徴を持ちながら、全体の伝統を守っているという独特の形をとっている。
さらにもう一つ紹介する特徴が、弟子を取らない「一子相伝」という点である。
ところがこれについては、
「弟子を取ってはいけないというきまりは無いんですよ」と教えて下さった。

ただし、現在も機械化されていない手作業で作られる小鹿田焼は、土(粘土)や薬(釉薬・陶器に色を付ける薬)を細かく挽くのに、全て谷川の水の流れを動力にした唐臼を使っており、「今のように48程の唐臼だと1軒当たりで親子が使う粘土しか確保できない」のだそうだ。
そうした要因もあり、結果として「1軒で継ぐのは1人」ということになるのである。

大分県日田市 小鹿田焼き

今を崩さないこと・・・

決して気取らず、日々の生活雑器である小鹿田焼は、これからも親から子へと技術が受け継がれていく。
「人それぞれだけど、よその家の子供は自分の家の子供よりも出来が良いような気がするな(笑)。」

大物から小物まで100個のオ-ダ-が来て100個同じ良い出来の物ができるようになるには「10年は掛かる」という。
「特に火入れは難しいです。何十年経験している私でも緊張しますよ。」
妥協が許されない厳しい世界。
機械化をせず、ガス窯は入れず、薬は自分で作る。

最後に、今後もどのように伝統を守っていくのかお尋ねすると、
「今を崩さないことですね。。」という柳瀬さん。

ご本人を含め、一緒に作業をされているご家族の皆さんも、民陶祭前というのに笑顔を絶やさない、非常に温か味のある工房である。

大分県日田市 小鹿田焼き

製品

小鹿田の粘土は鉄分を含み温度の変化に弱く、焼くと形が変形することがある。
そのため「特に火入れは難しい」。

小鹿田は、全て手作業で作られるにもかかわらず、日々の生活雑器として気軽に使って戴くことが出来る。
「齢なもんで大皿は疲れるね。腰にくる(笑)」と、柳瀬さんは大皿をロクロで回しながら、笑顔でお付き合い下さった。

登り窯による焼成

小鹿田皿山では開窯以来今日まで、薪による焼成が行われてきた。
もともと全窯元は一つの登り窯を共同窯として使用してきた。

それが昭和23年から昭和46年にかけて、個人の登り窯を築く窯元が相次ぎ、現在では共同窯を使用している窯元は5軒になっている。

共同窯は古くなると、同じ場所に築き直されてきた。
現在の共同窯は昭和60年に築かれたもので、とても大きい登り窯である。

大分県日田市 小鹿田焼き

窯は八袋(焼成室)の構造から成りたっており、最下部の焚口から順次焚き上げていく。
一番目の袋が所定の温度(1250度)に到達後、二番目から順に八番目の袋まで炊き上げる。

焼成の所要時間は約56時間である。
最後の袋まで炊き終えた窯は赤土で密封される。
窯開けは、焼成後2~3日間除冷した後となる。

「個人窯には自由があります。大量のオ-ダ-も受けられますし。共同窯は、みんなで使うので、不自由もありますけど、みんなと焼物の意見を話し合ったり、趣味の話をしたり、焼きおわったら魚釣りに行こうと話したり(笑)。。楽しさもあるんですよ。」

機械化せず全て手作業、共同窯を使い、みんなで協力して伝統を守っていく、「これは全国で小鹿田のみ、一番の自慢です」と、力強く答えて下さった。