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東京都葛飾区 大川製作所 変化と挑戦を続けるスリッパ製作所

大川製作所

下町の老舗スリッパ製造会社

東京都葛飾区に大川製作所を訪れたのは、梅雨が明けた強い日ざしが照りつける午後。大川製作所にとっては、ちょうど春夏物が終わり、秋冬物に取り掛かるにはまだ少し間のあるころだ。

大川製作所は創業が昭和28年、既に60年続くスリッパ専門の製造会社だ。現在は二代目と三代目が、親子で会社を守っている。

歴史

大川製作所の初代は、千葉県佐原の出身。

最初佐原から東京へ出てきて先代は、当時神田でスリッパを作っていた同郷の先輩のところで住み込みで修行を始めたそうだ。

昭和28年、修行を終えた初代は独立して現在の地で大川製作所を創業した。創業当時、ビニール製のスリッパを作っていた大川製作所にとって、最初の大きな分岐点となったのが、昭和30年代の団地の登場だ。

これにより、板間のダイニングキッチンに椅子とテーブル、さらに水洗便所など、それまでの生活様式が一変したのだ。さらに昭和40年代半ばになると、大川製作所は商品を作れば売れるという大きな時代の波を体験する。

それに伴い、周りからはもっと作って欲しいという依頼が殺到した。しかしこの時、初代は自分の目が届く範囲で良いものを作ることに重点を置いた。

この「良いものを作る」という大川製作所の姿勢は今も変わらず守られている。こうした積み重ねにより、次第に大川製作所の商品が認められるようになり、いつしか百貨店に商品を出すようになった。

さらに年号が昭和から平成へと変わり、再び作れば売れるという大きな時代の波がやってきた。

このときもまた、大川製作所は以前と同じ決断をする。「人情として、売れるとあっちもこっちも、どんどん生産を上げるように言って来るんだけど、とどのつまりが、自分達は百貨店でしか生きられないんじゃないか、という感覚をずっと持っていました。」(二代目)

そしてこのときも、作る量を増やすより、より良いものをつくることばかりを考えていた。「今考えるとそれが良かったのかな(笑)。」(二代目)

その後景気が冷え込み、海外の低価格の品物がどんどん国内に入ってくるようになって、あっという間に日本は淘汰の時代となった。

価格は底なしに下がる中で、大川製作所が生き残れたことについて、二代目は「うちが生き残れたのは、奇跡ですよ。たまたま百貨店と取引していたから、良かったんだと思います。もしもスーパーと取引していたら、あっという間になくなっていたかも知れません。」と、あくまでも謙虚だ。

「海外のものが入るようになって、どんどん価格が下がって、みんな苦しんでいた時のことですが、ある取引先が、うちは価格の安い海外のものは入れないから、良いものを作ってくれたら買うから、と言ってくれたんです。その時は、とても嬉しかったな。」(二代目)

常に良いものを作ろうとする大川製作所の姿勢は変わらない。

大川製作所が三代にわたり、時代の波を切り抜けることが出来たのは、決して奇跡ではないのだ。

大川製作所

問屋さんのこぼれ話、「七匠」ブランドとの出会い

昔は、どんな商売も問屋を抜いては語れない時代があった。メーカーも決して例外ではなく、ある意味において、問屋がメーカーを育てる役割をも担っていた。

大川製作所も昔は問屋からの仕事が多く、時として商売を超えて面倒をみてくれることもあったようだ。

「スリッパは季節商品だから、冬場に良く売れるんです。でも、夏場の暇なときにも問屋さんの倉庫に商品を積んでくれることもありました。まあ、そういう面では人情の厚い商売をやっていましたよ。今だって、うちはせがれが入ったからって、少し気にかけてくれているのかも知れません。せがれが継がなかったらもう少し厳しかったんじゃないかな(笑)。」(二代目)と。どこまでも謙虚だ。

そんな大川製作所は今、「七匠(ナナショウ)」ブランドを手がけている。「七匠」ブランドのスリッパは、優れた縫製の技術で、非常に高い評価を得ている。

「七匠っていうブランドを立ち上げたのは、もう20年くらい前のことですよ。当時の問屋さんが、これからの時代は技術だけではなくブランドがないと生き残れないっておっしゃって、当時はそんなものかなって感じだったけど、今考えると問屋さんの指導力は大したものでしたね。」

問屋さんの肝いりで、当初技術がしっかりした7軒でこのブランドは始まったのだ。それもいつしか、その問屋さんがなくなり、共に始めた7軒も今では2軒となった。しかし、多くの人の手によって生まれた「七匠」ブランドは、益々大きく育っている。

大川製作所 二代目

変わり続ける

二代目は、高校を卒業してそのまま会社に入った。

「私は長男ですから、子供のころから母親にお前は長男だから家の仕事継ぐんだぞって、ずっと言われていました。だから高校を卒業してすぐに会社に入ったんです。もう50年近くスリッパ一本。今では一つの仕事を続けられたことを幸せだと思ってますよ。」

大川製作所は今三代目。引き継ぐ者にとって、守ることへのプレッシャーはないのだろうか。

「もの心ついたときには、周りが当たり前のように家業をやってましたからね。特に三代目ということをプレッシャーには感じていないです。」(三代目)

「結局親父(初代)がやってきたことと、僕がやってきたことが同じじゃない、というところが良かったと思います。スリッパとしては同じなんですが、実は、デザイン、素材、技術など、時代によって全く違うんです。」(二代目)

最近、昔売れた形のスリッパが、また売れるようになってきている。しかし、昔の形のスリッパと今のスリッパは、同じスリッパでも作り方が全く違うのだそうだ。一つのスリッパを手にとって説明をしてくれた。

「今うちで一番売れているのは、このメッシュ素材のもので、昔の素材と全然違うんです。これは硬質ウレタンで、通気性に優れてる。蒸れないからお客さんは分かるんです。ウレタン素材は昔の素材のものと作り方が全然違うんです。」(二代目)

さらに別のスリッパを手にし、「これが親の代から作っていたもの。これとこれは全然違う技術。こっちは袋縫い。こっちのは、このタイプの縫い方になって12~13年くらいかな(笑)。」商品と技術を時代別に整理し、分かり易く説明する穏やかな顔は、それまでの職人のイメージとは、かけ離れたものだ。

大川製作所 三代目

「せがれには、変わらないと生き残れないと言っているんです。これからだって、どんどん新しい素材が出てきますし、百貨店からも、いろいろ新しいアドバイスをいただくんです。うちがそれに応えていけるかですよ。それに応えられなきゃ、うちは生き残れないって。」(二代目)

百貨店を例にとっても、その売り方は昔とだいぶ変わっている。昔はたっぷり品物を置いて売るのが主流であった。しかし今では品物の数は少なく、置き方もスペースをとって、高級感を出すようになっている。人によっては、いっぱいある中から、好きなものを選ぶ方が好きだろうが、時代の流れだろう。

生活雑貨は、人々の生活から離れると駄目になる。人々の生活が常に変化する以上、生活雑貨を作る職人にも常に変化が求められる。

大川製作所の強さ

大川製作所が、60年も事業を続けてきたのには、いくつもの理由がある。

そのうちの一つ。

大川製作所では、デザインを自社で行っている。「昔は4シーズンでデザインを変えていたときもあったんですけど、今は2シーズン(春夏、秋冬)。デザインは自分でやっていますよ。だから生き残れたっていうのもあるんでしょうね。」(二代目)今は、1つ1つの工程を外注に出すことが一般的だ。
そんな中で大川製作所は、素材の仕入、縫製、デザインを全て自前で行っているのだ。「何から何まで他に任せていたら、結局安いところにいっちゃうでしょ。ところが、自分で全てやっているのが、良いのかな。」(二代目)

さらにもう一つ。

大川製作所は、常に新しいものへ挑戦する。「例えば、私たちは長いことこの仕事をしていますから、昔のスリッパが売れるようになれば、すぐに作れるんです。作り方は体が覚えていますから。いつも新しい技術に取り組んでいれば、どんどん幅を広げていけるんです。それが我々の強みになっているのかも知れませんね。」(二代目)

大川製作所 新しい技術

新しい技術に挑戦することで、もしも思い通りのものが出来なければ、職人としての実績やプライドに傷がつく事だってあるのでは。

「前に問屋さんから、新しいタイプのものに挑戦してみないかと言われたんです。で、やったのはうちだけ。それまでと全く違う技術でしたから、他はやりたがらなかったんです。私は新しいもの好きですし、失敗しても、それほど恥ずかしがらずにやれるんですよ(笑)。」(二代目)と、とても楽しそうに話す。

「そのときだって、最初はひどいものを作ったんです。けれど、問屋さんも育てる気持ちがあったんだろうね。今考えるとよく我慢してやらせてくれたなって思いますよ(笑)。」(二代目)大川製作所は、老舗会社にも関わらず、今も若々しさを保っているのだ。

「何でも作れる気がするんですよ。その中で残るものや、残らないものが出てくる。その中でやっとここまできた、ということかな。とにかく、やってみないと駄目なんです。」(二代目)
職人と話しをしていると、時として哲学的な深みを感じる時がある。

大川製作所 三代目

大川製作所の今

大川製作所では、手作業で一日に100足を超えるスリッパを作る。「今、皮の素材に挑戦したいと思っているんです。今までやったことないですしね。」(二代目)と、また新しいことに挑戦しようとしている。

「皮をするとなると、縫製方法はこれまでと同じでは駄目なんです。縫製方法をもっとレベルの高いものにしないといけないんです。おまけに、皮は金額が高いから、結構怖いですよ。素材が高いからって価格を高くしても、スリッパの相場は大体決まってるし、皮自体の仕入値も為替の影響なんかで変わりますからね。」(二代目)
変わることの大切さを誰よりも知っている。だから、常に変わろうと努力する。

「僕のは売れてる時代を経験してきたから、よく売れる良いイメージも持ってます。けど、せがれの時代はずっと厳しい時代ですからね。難しいと思いますよ。」(二代目)と時折、三代目を気遣う父親の顔をのぞかせる。

事業の難しさはこれだけではない。これまで大川製作所を支えてくれていた染物屋、生地屋などが、次々になくなっているのだ。会社は支え合わなければ、生き残れない。今その支えが少しづつ消えている。