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埼玉県川越市 鈴木忠次 感性の原点は遊び心

漆芸 鈴木忠次

今回、漆塗りの技術をもとめて鈴木忠次さんを埼玉県川越市に尋ねた。

分業により製作されること多い漆芸の世界で、鈴木さんは彫りから漆塗り、さらには沈金、蒔絵まで、全て一人で行っている。
鈴木さんは、鎌倉彫特有の写生的な彫りを手掛けながら、村上堆朱の技法も取り入れ塗りを行っている。
「私の感性の原点は遊び心です」という鈴木さん。

そんな鈴木さんを見て奥様は「見てると発想がちょっと違う。」と、お二人ともとても明るい。
「伝統工芸だから昔からの形を壊さないように、というのはつまらないと思ってるんです。」という鈴木さんが携わっている漆は、日本を代表する文化だ。

漆芸 鈴木忠次

彫漆家・富樫光成先生の内弟子時代

鈴木さんは、新潟県村上市出身。先ず彫りを学んだ。
高校を卒業して、直ぐ東京に出てきて、最初の一年間はいろいろなことをした。

「1年間私がやりたいという仕事は全部やったんです。車の修理とか、和菓子屋や洋菓子屋、蕎麦屋とか。1日いて終わりとか、これは合わないとか、
ころころ変わりました。一番長かった会社には5ヶ月いました。あれは苦しいほど長かった(笑)。」と、とても楽しそうに話しをする。

「当時はどこも工場の煙が凄くて、会社のあった川崎に通うのに、マスクをしていきました。会社に着くとマスクが真っ黒になっちゃうんです。」

そんな鈴木さんも上京して1年が過ぎ、職人の世界に入ったそうだ。

「何せ1年間のうちにいろいろなことをやるんだから、凄く忙しかったんです。でも、どこいってもこれって仕事しなくちゃいけないんだって分かって(笑)。
絵を描くのが好きだったので、どうせ働くならそういう方面が良いなってことで、村上出身で有名だったので、富樫先生のところに行ったんです。」
奥さんも、隣でとても楽しそうに話しを聞いている。

当時、同郷であることはとても強い絆だった。
鈴木さんがいた富樫先生の所にも、何人も同郷の方が出入りしていたそうだ。
この鈴木さんが修行に入った富樫先生というのは、彫漆家として大変有名な富樫光成のことである。

鈴木さんは、駒込の富樫さんのもとで内弟子として8年間修行した。
「いろいろやった後に覚悟決めて先生のところに入りましたから、あまり休みは取りませんでした。」
鈴木さんが、住み込みで修行を始めたとき、彫刻の経験はゼロだった。

漆芸 鈴木忠次

「彫刻刀の研ぎ方もわからないから、先ず自分で物事やってみて、たまに先生が私の使って、こんなんじゃ駄目だとか言われるんです。
教えてもらうのを待っていたら、何も出来ないままなんです。やってるのをちらっちらって見て覚える。もしも見て出来なければ、
出来ない人で終わるってことです。」職人の世界はと鈴木一二さんはても厳しい。

「何年やったから出来るってものじゃないけど、自分から盗むくらいの根性持っていないと、その先には進めないんです。」

修行時代の鈴木さんは、月謝は頂いていなかった。
「月謝を出すって言われたときもあったけど、お断りしたんです。だからずっとお小遣い程度でしたよ。」
富樫光成先生のもとで彫りを学んだ鈴木さんは、さらに父親で塗師の鈴木一二さんから、村上堆朱の塗りの技術を学んだ。

鈴木一二さんは、名人百人にも認定された塗り専門の職人だ。
「父親は、村上で、塗り専門の職人なんです。父親のやってた村上堆朱の技術は、基礎がしっかりしていましたからね。」
村上堆朱は、新潟の漆器として600年の歴史をもち、現在国の伝統工芸にも登録されている。
鈴木さんは、内弟子をしている場所に父親に来てもらい塗りの技術を学んだ。
「親父は、何年もいませんでしたよ。向こうでも仕事ありましたから。一年もいなかったでしょうね。しばらくして、帰っていきました(笑)。」

漆芸 鈴木忠次

漆の色と艶

漆は木から採取したばかりは乳白色(とろろのような白っぽい色)をして、空気に触れると茶色から褐色と変化して乾くと黒になる。
生漆(きうるし)とは木から採取した漆液(荒味漆:あらみうるし)からゴミを取り除いたもので生漆に”くろめ”と”なやし”を施して彩色用としたり、
また生漆として使う場合は上級品は生正味(つやあげ用)、下級品は下地用に使用する。

漆は長い時間と年数を経て透けてくるので彩漆物は色鮮やかになり、漆の白は最初は茶色っぽく、年数を重ねる毎に白くなる。
鈴木さんの作品の中でお雛様の顔に白い漆が使われているが、これは30年か40年くらい経っている。
もともとはもっと茶色っぽい色だったそうだが、時間が経った今では漆特有の透明な艶で覆われ、その奥にとても上品な白が映える。
この艶と奥行きが漆の利いている証拠なのだそうだ。

漆芸 鈴木忠次

製品製作

現在鈴木さんが多く製作しているのが、鎌倉彫だ。
「うちが普段やってる鎌倉彫では、中塗りを黒、上塗りを赤にして乾口(ひくち)塗りに仕上げるんです。そうすると、使っていったときに模様の高く
なったところが擦り切れていって、下から中塗りの黒が出てくる。その状態が根来塗です。」
今では根来塗りとして、最初から摺り切れた仕上げにしたものが多い。

鈴木さんの作品の多くは、中塗りが黒、上塗りが赤というものが多いが、一方でその逆や、さらに中塗りと上塗りを同じ色にするものもある。

漆は、時間が経つと艶とともに透明感が出てくるため、例えば赤の下に赤を塗れば、時間が経つほどにより赤が鮮やかになる。
また鈴木さんは、自分で蒔絵を行う。そして時に筆をもち、漆を使って模様を描くのだが、漆で模様を描くのはとても難しいのである。

例えば、鈴木さんが描くお雛様の顔は、富樫先生のところで修行したものである。
鈴木さんは、富樫先生のところでこれを何十枚も作っていたが、顔だけは最後の方でようやく描かせてもらったそうだ。
特に目は気を使う。

「筆が入るときと、出るときを同じにしないと駄目なんです。それと漆で描くと漆が流れちゃうから、早く描かないと左右の目が違っちゃう。」
こうした部分は蒔絵師に頼むのが一般的である。
そして磨きの工程。
磨きは自分の手を使って磨く。

「手で磨くとき、自分の手で傷つけないように気をつけないといけないんです。」
手で磨く時は、最初に手に傷がないか確認する。傷が付くともう一度塗り直しになる。
こうして磨かれた漆器にはとても深い艶が出る。

その一方で、わざと艶を出さない技法もある。
村上堆朱の場合、つや消しで仕上げる。
そして、日々使うことで、磨かれ艶が出る。
このように漆には、最初から磨かれ艶を持ったものと、最初艶がなく、使われることで艶が出るものとがあるのだ。

漆芸 鈴木忠次

川越彫り

川越は黒漆喰壁の重厚な蔵をイメージして、黒系のすり漆技法で仕上げたものである。
木材を加工し木地をつくり、その木地に図案を描き彫刻をする。あるいは直接木地に彫刻(地彫り)をし、刀痕(彫った痕)の面白さを表現している。

漆の濾し(こし)と塗りの話し

漆を濾すのは、細かなゴミや不純物を取り除くためである。
漆をくるくる巻いた和紙に包み、両端を引っ張りながら漆を濾す。
そして漆を濾した後、漆の付いた和紙は、最後に丸めて塗る面のゴミをとるために掃除に使う。

貴重な漆は無駄にはしないのである。

こうして、漆を濾してようやく塗りの工程になる。
例えば平らな面を塗る場合、先ず箆(へら)で漆を配り、その後刷毛で漆を塗るのである。
箆は木の年輪を考えて少し斜めにカットされている。

漆芸 鈴木忠次

これは、漆を塗るときに等しく力が加わるように計算されているためである。

漆は端から端まで均等の厚さで、さらに同じ速さで塗らなければならない。
顔料は漆より重たいため下に沈む。
そのため、例えば赤の場合、厚い部分は薄い部分より黒っぽく乾く。
つまり、色の均等が取れないのだ。
この塗りは何回も行う。
塗りが同じ厚さになると、すべりが同じになるという。
大きなものを塗るときは、とても大変な作業である。

「こういう大きいのを塗るとき蕎麦屋で働いた経験が役立ってる(笑)。」
冗談を言いながらも、鈴木さんの手は素早く均等に漆を塗っていく。

漆かきの仕事

漆は漆の木の樹液である。この漆を取るには漆の木に傷をつけて、その傷口から染み出してきた液をかき集める。
この漆を採取することを漆かきという。

「私の実家は昔から漆かきにかかわっていて、祖父、父、兄、私と親戚も漆かきをしている家系です。祖父は昔新潟のラジオ局
から漆について話してくださいとのことで出演したこともあるし、父は戦争で片足がなく義足でありながら他県に行き漆の大木に
はしごをかけ漆を取っている写真があります」

「漆かきは朝の暗いうちにはしごをかつぎ自転車で現場に行き明るくなってきたら始めます。
毎日30~40本の木から漆を取り、4日に1巡りできる本数を確保し、毎日朝の暗いうちから夕方暗くなるまで働き、採取できる漆はわずか160g位かな。
そんな仕事の繰り返しで毎日休みがくるまで働く(休みは雨の日)のです」

素材

漆工芸には、朴(ほう)やトチ、桂の木が向いているそうである。
朴やトチの木は年輪が出てきにくい。
また朴の木はとても粘っこく、輪郭を彫る場合などは欠けづらい。
一方、彫りやすいのは桂の木である。

しかしサクサク彫れるものの、何年かすると年輪がでてくる。
一般の方で木彫りをする場合には、しなの木が扱い易いようである。ある程度の粘りがあり、それでいて柔らかい。

漆芸 鈴木忠次

道具

鈴木さんが鎌倉彫を彫るときには、両刃から丸刀(がんとう)、三角刀、その他に様々な刃物を使う。
一方で、村上堆朱を彫るときは、両刃を使うそうだ。

この両刃、彫刻刀から自分で使い易いように作る。
この時、両刃の刃が真ん中にくるよう研ぐ必要がある。
そもそも彫刻刀の刃は、鉄と鋼(はがね)で出来ていて、外側が鉄、真ん中が鋼となっている。

両刃を作る時は、先ず刃先を鋭くするために鉄の部分を鑢(やすり)で削り、次に鋼を砥石で研ぐ。
ここで鋼を鋭く研ぐことでより彫りやすくなるのだが、その反面もろくなり、横からの力で簡単に折れてしまうのだ。

平らなものはあいすきで、三角の刃は三角刀である。
彫刻刀は研いで行くと刃が短くなるが、もともと外に出ている刃部分は一部で、残りは木の中に入っている。そこで刃を研いで短くなると、木を削って刃を出すのである。

漆芸 鈴木忠次

鈴木さんが修理した板戸

広済寺に残る4枚の板戸は約400年前のものだそうだ。もともと虫くいの穴があいていた状態であったが、先日鈴木さんがその穴をうめ鉋(かんな)をかけて漆を塗った。

どこに穴があったか全く分からない。そして板面は漆の奥に年輪がきれいに見えている。年数が経つと漆の透明感が増し、さらに年輪が浮き上がってくるという。

漆芸 鈴木忠次

日本の漆(JAPAN)

時に海外で漆はJAPANといわれるほど、日本の代表的な文化として知られている。
実はこの漆と日本人は、とても付き合いが長い。

北海道の垣ノ島遺跡から出土した漆の装飾品。放射性炭素年代測定の結果、今から約9,000年前の縄文時代のものであることが判明した。
さらに福井県若狭町の鳥浜貝塚で出土した漆の枝は、約12,000年前のものであることが、東北大学の研究グループによって発表された。
これが現在見つかっている世界最古の漆製品といわれている。

また、もともと日本の漆は大陸から来たものと考えられていたが、出土した漆のDNAを分析したところ、日本固有のものであることが判明したという。
国産漆は、日本の気候にとても合っており、高温多湿の気候の中で時間が経てば経つほど艶を増す。
また漆の効果も匂いでかぶれるほど強い。

一方で漆は、太陽の光にはとても弱い。日に当てると漆自体が風化し駄目になってしまう。
そんな国産漆は、現在生産量が非常に少ない。そのため中塗りに外国産を使い、国産漆は上塗りに使う場合が多い。

外国産の漆を中塗りに使うのは、外国製の漆が日本の気候に適していないことによる。
外国製の漆は、時間の経過によって漆自体が胡粉のように風化して駄目になってしまうのだ。