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大分県日田市 うらつか工房 開発期間3年!曲がる下駄 日田杉の室内履き

大分県日田市 うらつか工房

日田の下駄作りは、製材、生地(板)、仕上の3種類の工程に分業されている。

今回話しを伺ったうらつか工房は、日田で昔ながらの街並みが残る豆田地区から程近いところにある。

うらつか工房は、昭和24年浦塚与七郎さんによって生地を専門に作る工房として創業され、今は2代目となる浦塚重行さんが奥様と一緒に下駄の生地を作っている。

現在、日田で下駄を製作している工房の多くが、昭和20年代に創業した。もともと日田では、どこの工房も一貫生産していたという。日田の下駄工房が、それまでの一貫生産をやめ、分業するようになったのには、当時の社会背景が大きく影響している。

日田では大正以降、加工機械の導入により生産力が増大し、静岡、広島と並ぶ下駄の三大産地と称されるようになった。さらに戦後、日田の下駄産業は国内の下駄需要の高まりに乗って生産量を大きく伸ばし、最盛期には年間2,000万足を生産するまでに成長した。

しかし、生活様式の変化による下駄需要の減少や、過剰生産による価格の下落によって、昭和20年代後半には多くの工房が撤退していった。そうした中、価格の安定と生産量の調整を目指し、分業体制へ移行したのである。

そして現在、日田の8箇所の工房が日田下駄組合に加盟し、日田で下駄を作り続けている。うらつか工房も日田下駄組合の一員として、下駄の生地を作り各工房へ卸している。

大分県日田市 うらつか工房

うらつか工房の2代目である重行さんが、下駄作りに携わるようになったのは、30年程前のこと。

「当時は、まだまだ忙しい時代でしたね。」

重行さんがうらつか工房に入った当時、既に日田の下駄生産は分業体制となっていたが、家族の他に従業員が5名いたという。

実は重行さんはうらつか工房に戻る以前、日田の家具メーカーで働いていたそうだ。家具の町として全国に名が知られている日田の市内には、今も多くの家具メーカーが立ち並ぶ、まさに家具の町である。

ここでは特に、椅子やテーブルといった足物家具の製作が盛んである。重行さんはそんな「家具の町」で家具メーカーに就職し、最初は塗装部門に配属されたという。

暫く塗装部門で働いていた重行さんは、あるとき営業に配属された。そこで、「営業をやってみて、やっぱりものづくりの方が楽しいというか、自分に合ってるんじゃないかって思ったんです」。そうして家具メーカーを辞めた重行さんは、下駄を作っているうらつか工房を継ぐことに決めた。

当時のうらつか工房は、生地を専門に作る工房であったが、「平成になるちょっと前ぐらい」から完成品も作るようになったという。

「だって生地ばっかりじゃ面白くないじゃないですか。」

大分県日田市 うらつか工房

元々ものづくりが好きで家具メーカーに入ったのかと伺うと、、「ものづくりが好きだったのか。もう昔のことで忘れましたね(笑)」とのこと。

完成品を作るようになったきっかけは、福岡で行なわれた展示会への出展だそうだ。
「クラフト分野でウッドスリッパを出展したんです。それで賞をもらって。」

この時出展したウッドスリッパは、大分県日田産業工芸試験所の職員と一緒に開発したものだという。
大分県日田産業工芸試験所というのは、大分県の産業支援機関で、主に家具や下駄などの木履に関する支援を行なっていた。

「よく試験場に行ってたんですよ。」
ウッドスリッパの他に、日田杉の室内履きもこことの協力で開発された。

もともと室内履きを作りたいと考えていたという。
産業工芸試験場の職員2人と協力し開発を始めてから3年後、室内履きを完成させた。しかし完成に至るまでの過程には、様々な失敗があったという。

日田杉の室内履き開発

日田杉の室内履きの表面には、現在厚さ0.3ミリの日田杉の板5枚が張り合わせたものが使われている。
開発を始めて2年が経った頃、板の数を4枚にした商品を開発した。

そして重行さんは、「それで走ちゃって、、で、返品です。4枚だと反るんですよ。後になって分って。奇数じゃないとだめなんです。」表面と裏面の木目が同じ方向でなければ、板は反る。重行さんにとって、納品した全ての商品を引き取ることが出来なかったことが、今でも心残りとなっている。

大分県日田市 うらつか工房

そしてさらに1年。ようやく現在のように厚さ0.3ミリの板5枚を重ねた室内履きが誕生する。実は厚さ0.3ミリにも理由があるという。0.3ミリの板を5枚重ねて1.5ミリ。

「これが1枚0.4ミリだと厚みがでて、しなりが出にくいんです。」

また0.2ミリだと薄くて強度が弱い。こうして3年かかって完成した商品であったが、当初なかなか売れなかったそうだ。

「でき上がったときは、いけると思ったんだけど、一生懸命作ってこれは良いって思うと、思い込んじゃって。。入れ込みすぎちゃうとだめですね。売れないです。」

そんなときに試験場の人が、室内履きをある雑誌に持ち込んだという。そして、その雑誌で取り上げられたことがきっかけとなり、注文がくるようになった。

「それで、ああ間違いなかったんだって思いました(笑)。」こうして日田杉の室内履きに注文がくるようになったが、2012年、突如日田を水害が襲う。

うらつか工房のすぐ前を流れる花月川が氾濫したのである。
花月川の堤防を決壊させた川の水は、周辺の家々を浸水した。

この時うらつか工房も浸水し、室内履きを作っていた機械が使えなくなってしまったそうだ。
これ以降、同業社に機械を借り何とか部屋履きを作る日々が続いた。

大分県日田市 うらつか工房

そうした状況が続くうらつか工房であったが、つい先日念願の機械を手に入れた。

機械を譲ってくれたのは、「草履屋さんです。忙しいみたいだけど。そろそろ潮時だっておっしゃって。」重行さんは新しい機械を使って、工房の日田杉の室内履きをより多くの人に届けていく。

例年3月から夏場にかけて、うらつか工房は繁忙期を迎える。
うらつか工房の繁忙期を追うようにして、町には下駄を履く人の
姿が増えてくる。

特にここ最近、ファッションとして下駄を服に合わせて履く若者が増えている。まさに下駄は、最新ファッションとなりつつある。

特に日田杉で作られる日田下駄は、杉特有の凹凸が足裏との密着を防ぎ、さらに木が汗を吸収して、いつでも“さらっ“とした気持ちいい履き心地が楽しめる。湿度の高い日本の夏にぴったりである。

そんな日田下駄は、子供用から大人用まで幅広くサイズが揃っている。

大分県日田市 うらつか工房

それら全サイズを製作するうらつか工房は、秋が始まるころ、翌年の夏に向け生地の準備に取り掛かる。

「今は子供用の生地を作っています。」

子供用の下駄は16.5センチから21センチの間に4サイズ。
機械を切り替えながら、1つ1つサイズを作る。

とても手間がかかる。
うらつか工房で木を加工する機械は、先代から大切に使われてきた。

「この形もあの機械で出来るんです。」と写真を指差しながら教えてくれた。

重行さんは、この機械の癖や機能を知り尽くしている。

「だから逆にまずいんですよ。図面を書くときに結局このデザインは無理だっていうのが分かっちゃうでしょ(笑)。」
と言う浦塚さんは、今も新しいデザインを考えている。
「こういうのはどうかって持っていったりするけど、なかなか乗ってくれないんですよ(笑)。」と、笑顔で話しをしてくれた。

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