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岡山県倉敷市 ジャパンブルー 児島のジーンズを世界へ!

ジャパンブルーの看板とジャパンブルーのショールーム

瀬戸内海に面した岡山県倉敷市児島。

ここは、古くから繊維業が盛んな地域である。

江戸時代に興った真田紐の生産から始まり、
大正時代には日本一の足袋の生産地となった。

その後足袋の需要が減少すると、今度は足袋の生産で培った技術を活かして、学生服の生産地となった。

この地域は、今でも学生服の産地として圧倒的なシェアを誇っている。そして、学生服以上に児島の名前を有名にしているのがデニムである。

児島のデニムは、国内のみならず海外からも注目されている。

自社ブランドを持つ大手企業から家族経営の企業まで、大小様々な工場がある児島は、産業集積地として大変優れている。

例えばここでは、朝に在庫ジーンズの化粧変えを頼むと、その日のうちに完成品が手元に届くということも出来るのである。

このように、個々の工場が持つ優れた技術だけでなく、工場を結ぶネットワークがあることも、児島の産業集積地としての優位点といえる。

しかし、児島地区が持っている最大の優位点は、“互いに刺激し合いながら、良い製品を発信し続ける”、という高い意識を持ったジーンズ産業関連企業が数多くあるという事実である。

ジャパンブルー社長の眞鍋寿男氏

ジャパンブルー

ジャパンブルーという言葉がある。


今では一般的な言葉となっているが、実はこの言葉を初めてプロモーションした会社が、児島のジーンズメーカーで株式会社ジャパンブルーの前身、株式会社コレクトである。そして今回お話しを伺ったのが、その創業者で、現株式会社ジャパンブルーの社長、眞鍋寿男氏である。

眞鍋氏が株式会社コレクトを創立したのは、平成4年のこと。

会社創業以前の眞鍋氏は、様々な職業を経験した後、テキスタイル会社に転職。国内の様々な産地を自らの足で回り、人々のニーズに合った生地作りを行なっていた。しかし、そうした経験を積む一方で、何か強いものに特化して起業したいという思いを常に持っていたという。

そして、その思いにぴったりと“はまった”のが、児島のデニムであった。

児島で生まれ育った眞鍋氏にとって、幼少のころから紡績や縫製といった産業は、ごく身近な存在であった。

「地元はデニムの産地ですし、日本のデニムで世界一を目指してやろうと。既存の概念を捨てて、日本人が本気出したら、デニムもジーンズも負けることはないと思ったんです。」(眞鍋氏)

そんな眞鍋氏が独立して最初に注目したのが、デニムの“青”であった。
日本には、古来より様々な“青”がある。
藍、瑠璃色(るりいろ)、天色(あめいろ)、勿忘草(わすれなぐさ)、浅葱色(あさぎいろ)。
これら美しい名前がつけられた“青”は、正に日本の文化といえる。
株式会社コレクトは、この文化的背景を持つ日本の青、“ジャパンブルー”を、初めてジーンズの色としてプロモーションし、大きな成功を収めた。

そしてこの時期、この成功に加えてさらにもう一つ、創業間もない会社にとって、大きな起爆剤となることが起こった。

第一次ビンテージブームである。

ジャパンブルーのデニム

ビンテージブームとは、日本で起こった古着ブームである。

当時若者は競ってアメリカの古着に飛びつき、古着の需要が爆発的に増加した。しかし需要が増加したその一方で、古着の供給量には限度がある。

しばらくすると、市場に出回る状態の良い古着の数は徐々に減っていった。

すると今度は、自らがビンテージモデルと“同じもの”を作ろうとするマニアが現れた。その時、にわかに注目されるようになったのが、旧式の織機でデニムを作っていた児島である。

そして、圧倒的な知識を持つマニアと協力し、質の高いレプリカが児島で作られた。

最初は一部のマニアの間で支持された児島のレプリカジーンズであったが、カジュアル雑誌に取り上げられたことで、いつしか一般の人々にも認知され、児島のジーンズの名前が知られるようになった。
それとともに児島のデニム生産量も増えていった。

この流れは、当時まだ自社ブランドを持たず、デニム生地の生産を行なっていた株式会社コレクトにも及んだ。自社では追いつかない程、デニム生地の注文が会社に殺到したのである。

しかしそんな忙しい中にあって、眞鍋氏はいつか自分達も自社ブランドのジーンズを作りたいという気持を持ち続けていたという。
そして2006年、思いが形となりオリジナルブランド“桃太郎ジーンズ”が生まれる。
桃太郎ジーンズというブランド名は、眞鍋氏ご自身の発案である。

「自分達の産地とリンクする産地ブランドが良いと思って。となると、桃太郎以外考えられなかった(笑)。」

ジャパンブルーのデニム

そしてさらに、桃太郎ジーンズが軌道に乗った2010年、海外向けブランド“JAPAN BLUE JEANS”の製造、販売を開始する。この時、眞鍋氏自身が現物を持ち、営業活動に世界中を駆け回った。しかし、中々手ごたえが得られない。それでも、展示会出展や営業活動を地道に続けた。

「今は買わないけど、いつか買ってやるからとか、当時はよく言われたよ(笑)。」

現在、“JAPAN BLUE JEANS”を取扱う海外の小売店は約100店舗に増え、多くのファンを持つようになった。

こうして株式会社ジャパンブルーは大きく成長し、彼らを取り巻く環境は大きく変わりつつある。しかしその一方で、創業当時から変わらないものがある。

その一つが“青”へのこだわりである。

そして、日本の歴史や文化、伝統と、独自の革新的な視点を融合させた製品作りである。このブレない姿勢が、いつしか人々を魅了したのである。手をかけて一生懸命やっているから良いということではなく、人々の目にどう写るかを考える。

「そういうものにしないと自己満足で終わってしまう気がする。」(眞鍋氏)

旧式力織機

豊田自動織機製「GL-9」

株式会社ジャパンブルーが作るデニムは、創業当時から変わらず豊田自動織機製の「GL-9」によって織られている。

いわゆるセルビッチデニムである。

「GL-9」の特長は、先ず“音が大きい”。

会社が保有する「GL-9」は、全部で10台。

この10台を同時に稼動させると、防音サッシを使っても外に音が漏れるほど、大きな音となる。そのため、駅前にある本社社屋から車で30分程離れた郊外に工場を置いている。

そして、とにかく“手間がかかる”。

例えば、部品の1つが壊れる。
「GL-9」は機械自体がとても古くて、必要な部品が簡単には手に入らない。
そのため、時として自らが部品を作らなければならない。

こうした作業を含め、会社では現在2名の職人が機械を動かしている。

「これはジーンズが好きというより、メカが好きじゃないとキツイ仕事だと思うよ」(眞鍋氏)

豊田自動織機製「GL-9」

しかし、それでも彼らはこの機械を使い続ける。
その理由が、この機械でないと生み出すことができない“風合い”である。
それでは、この風合いは一体どこからくるのか。

そのヒントとなるのが、この機械の動きの“速さ”にある。
最新織機は、1分間に800回転から1,000回転の速さで糸を織る。
それに対し、「GL-9」は1分間に140~160回転程度。
この“低速”で糸をしっかり織り込むことで、布に微妙な凹凸が生まれる。

そしてこの凹凸こそが、ジーンズの命ともいえる風合いを作り出すのだ。

店舗内のジーンズ

最後に

現在、桃太郎JEANS直営店舗で購入された定番ジーンズには、10年間の保証がついている。

基本的な部分(糸切れ、ボタン・リベット・ファスナ-等の破損)の修理は10年間無料で受けることが出来るという。

10年間というと、自分の体形が心配になる方も多いはずだ。良いジーンズを長く穿くには、穿く側にも努力が欠かせないのである。

そして株式会社ジャパンブルーもまた、“長く持つもの”を一生懸命保証し、さらに長く穿いてもらうという、正に普通の企業概念とは、

全く逆を実践し努力を続けている。

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