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東京都足立区 東京産業 履き心地を追求したスリッパ

東京産業の看板と東京産業の皆様

かつて東京には、50社を超える
スリッパメーカーがあったといわれる。

しかし現在では、その数は大幅に減少している。そんな中、今でも足立区でスリッパを継承する東京産業を訪問した。

今回お話を伺ったのは、社長を務める丹羽達儿さんと3代目の丹羽正さんである。

歴史

東京産業の創業は昭和22年。
初代の丹羽義正さんが、室内履の製造卸業者として南千住で営業を開始した。

元々カバンを扱う会社に勤務する会社員であった義正さんは、都内のスリッパメーカーを担当したことがきっかけとなり、独立して会社を設立した。設立当初は子供靴、ベビー靴、スリッパなど、様々なものを取り扱っていた東京産業だが、いつしかスリッパ専門メーカーとなり順調に成長していった。達儿さんが東京産業に入ったのは、そんな時代であった。営業が3~4名に増えたころ、突然義正さんが体調を崩して倒れてしまったのだ。

「それで、私が高校出てすぐここに来たんです。」(達儿さん)

達儿さんには、他に選択肢はなかった。

こうして会社に入った達儿さんは、スリッパ作りを覚える一方、商品を持って日本中を飛びまわった。
当時から腕の良い職人が作る東京産業のスリッパは、どこへ行っても大変人気があった。
東京産業は当初、下職に出してスリッパを作っていたという。作れば売れるという時代の中で、だんだんと自社内で作るようになっていった。
今東京産業に受け継がれている“より良いものを目の届く範囲で作る”という姿勢は、正にこの時代に育まれていたのである。

その一方で、同じ時期多くのメーカーでは単価を抑えた量産化を推し進め、規模を拡大した。時代の流れにのって規模を拡大した多くのメーカーであったが、平成の時代になると大きな敵が現れた。安い外国製品である。

東京産業のスリッパの裏側

外国製品が大量に国内に出回るようになったことで、いつしか量産化をしていた多くのメーカーが淘汰されていった。

3代目の正さんが東京産業に入ったのは、そんな時代であった。

「もともと会社を継いで欲しいというのはあったんです。」(達儿さん)

それまで、コンピュータ会社に勤めていた正さんは、25歳のとき東京産業に入社した。

「僕が一番感じているのは、自分は職人としてではなく、みんなを何とか引っ張っていく存在でいたいということなんです。」(正さん)

その言葉の通り、正さんは今、会社経営と営業を担って会社を引っ張っている。

東京産業のスリッパ作り

よりよい物を作る姿勢

「うちは、例えばこのスポンジを抜いちゃえば安くなるんじゃないかとか。そういう考え方とは逆の考えでやってます。もっと良いのないかって。」(正さん)履いた人が履き心地に満足すると、また買ってくれる。「中々壊れないで困っちゃうんですけど(笑)。」(正さん)

クッション性

スリッパのクッション性の良さは、手で触っただけでは良くわからない。
それは、スリッパが何十キロもある人の体重を支えなければいけない履物だからである。
東京産業では、体重をしっかりと支えることができるよう、適度な硬さのある中板を使用している。
東京産業のスリッパを履くと、体がしっかり支えられることを実感する。

スリッパの加工作業

足の通し易さ

甲の入口の部分が落ちているスリッパを履こうとして、中々履けなかったという経験はないだろうか。
東京産業のスリッパは、長く履いても甲の入口の部分が立つよう工夫されている。
新品では分らないが、それは長く使えば使うほど明らかな違いが出てくる。

スリッパの“アール“

“アール”とは、スリッパのつま先にある“そり”のことである。今ではごく一般的になっている“アール”だが、その誕生には東京産業が深く関わっている。「元々真っ直ぐが良いって言われてたんです。だから、当社も最初は真っ直ぐのスリッパを作ってたんです。」(達儿さん)しかし、真っ直ぐより“アール”が入っていた方が歩き易い。そこで、「初めて外縫いで“アール”を入れたんです。初めは型紙から作るんですが、実際に作ると違うんです。履き心地が悪いとか。」(達儿さん)何十回も改良を重ね今の形になったことで、スリッパは革新的に歩き易くなった。

チームワーク

ものづくりには、チームワークが欠かせない。「とにかく、僕は極力出来ないとは言わないように心がけていました。分りましたって言って持ち帰ってくるんです。それで何とかしようと考えるんです(笑)。」(達儿さん)
持ち帰って、何とか満足のいく試作品を作る。しかし、試作品が出来ても製品は作れない。試作品を作るのと、ラインに乗せて製品を作るのは別物なのだ。アイディアを形にし、さらにそれを製品にする工程まで、その全部を考えなければいけない「中の人が一番大変ですよ。(笑)」(正さん)それをやっているのが、今の工場長渡辺さんである。渡辺さんは、30年以上東京産業のスリッパを作り続けている。
そんな渡辺さんも、最初はとても苦労したという。「昔の人は教えないよね(笑)。最初このミシンを練習せいって言われて。ぐるぐる回し方をね。それでかけては怒られ、かけては怒られ。。(笑)」スリッパは曲線が多い。スリッパのミシンがけは、スリッパを回す速度調整がとても難しい。早過ぎても、遅過ぎても、美しいスリッパは作れない。正に職人技である。

東京産業の七匠(ななしょう)スリッパ

七匠(ななしょう)

東京産業の主力製品が七匠ブランドのスリッパである。
一品一品丁寧に作られる七匠のスリッパは、丈夫で長く履いても甲の部分が下がらず、いつも履きやすい。さらに適度なクッション性あって履き心地が良い。固定のファンが多くいる理由である。

実はこの七匠ブランドのスリッパは、最初東京の7つのメーカーが立ち上げたブランドであった。最盛期には11のメーカーが七匠を手掛けるまでに至ったという。

しかし年々その数は減少し、今では東京産業を含む2社が残るのみとなった。今東京産業の七匠スリッパは、生地の選定、裁断、縫製、仕上げ、検品まで、全てを国内の工場で行ない最高の品質を誇っている。

職人の作業風景

スリッパの“吊り込み”と“外縫い“

一般的にスリッパには、“吊り込みタイプ”と“外縫いタイプ”の2種類がある。
戦前からあった吊り込みタイプに対し、外縫いタイプは戦後生まれである。

外縫いタイプのスリッパは吊り込みタイプと比較して、つま先に余裕がある。足を通すと、つま先が開きゆったりとリラックスして履くことが出来る。作り方にも違いがある。

吊り込みタイプのスリッパは、作る際にそのサイズの“型”が必要となる。つまり、型のないサイズのものは作ることが出来ない。
それに対し、外縫いタイプは、吊り込みの型が要らないため自由度がある。